今回の「マノン・レスコー」のチラシにも載っていますが、演出家、三浦先生が書かれた 「~マノンとの旅~ 」。とても素敵です。プッチーニ好きの私にはたまらなく心に響く文章です。ぜひお読み下さい!
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『マノンとの旅 ~オペラ「マノン・レスコー」への誘い
ミミ、蝶々さん、トスカ、リュー・・・ プッチーニの描く物語の中心は必ず女たちだ。彼女たちは可憐で愛らしく、しかし芯は強く、どこかミステリアス。そして、物語は必ず彼女たちの死で幕を閉じる。
そんなプッチーニのヒロインの中でも際立って強烈な魅力を放つのがマノン・レスコーだ。原作者アベ・プレヴォーの描いたマノンは「ファム・ファタール(運命の女)」つまり、男をだめにしてしまう悪女の元祖だともいわれる。
修道院におくられる途中のマノンに騎士デ・グリューは一目惚れする。可憐な少女を連れて騎士は逃避行を始め、まずはパリで慎ましい生活を始める。愛に満ちた幸せ・・・のはずだったが、デ・グリューはマノンが欲望に取りつかれた女性だということを知る。宝石、ドレス、豪奢な生活、そして数々の男性・・・ マノンは次第にデ・グリューの前で彼女の「娼婦性」を剥き出しにし始める。そんなマノンに愛想を突かしながらもはますます虜になってゆくデ・グリュー。ついに当時の流刑地であったアメリカに追放されるマノン。そして、見習い水兵に志願して彼女を追うデ・グリュー。
舞台が様々に移動してゆく映画を「ロード・ムービー」というが、プッチーニはフランスのアミアン、パリ、そしてル・アーブル港からアメリカへと逃避行を続ける二人をまるでカメラで追うかのように描写してゆく。
さて、リュミエール兄弟が映画第1作「工場の出口」を作ったのが1895年。映画という新たなるジャンルの娯楽はその後世界を席巻してゆくのだが、プッチーニが「マノン・レスコー」をトリノで初演したのは、それに2年も遡る1893年である。映画的な感性を先取りしているかのようなこのオペラの構成のダイナミズム!改めてプッチーニの天才に驚嘆する。
終幕、砂漠で力尽きるマノンを呆然と見つめるデ・グリュー。まさに「愛の地獄」なのであるが、しかしプッチーニの官能的な音楽の渦の中、欲望の赴くままに生き、燃え尽きて死んでゆく彼らの姿を目にするオペラ体験は、現代のせせこましい社会に生きる私たちに法悦ともいえる官能の極致を味あわせてくれる。
小空間風の丘で、「運命の女」とのめくるめく2時間の逃避行。あなたも是非いかがですか
演出家 三浦安浩 』
演出家 三浦安浩 』